2

今更ながら自分と同じ年のもの、それより前のもの、古いものに惹かれる時期っていうのが自分の中である。

自分と同じ年に生まれた服、曲、本、それらすべてが知らないはずなのに歳が近いというだけで変に親近感が湧いてしまう。そしてなぜかその物たちを想い涙することもある。そんな自分をバカバカしいと思うのだけれど、そんな自分が好きでもある。

 

私は自分のために何かをしたり、努力したり尽くしたりすることがとても苦手だ。良い言い方をしてるけど、悪く言えば努力が嫌いな怠け者だ。自分のため何かをしたといえば高校受験と大学受験くらいで。それ以外はある程度の範囲を超えないくらいで怠ける努力をしてきた。

それでも誰かのためとなると自分の時間を犠牲にしてまでも尽くすことが可能になる。私は自分のために生きることはできなくても、誰かのために生きることができる。でもそれは誰でも一緒なのだと思う。それでも私は親が悲しむ顔を見たくないから、とか、もしこの先好きになる人が現れて、その人を悲しませたくないとか、変な理由があるから死ねないし、生きている。自分のためだけではなく、他人を想い常に生きている。じゃなければ別に惜しい命だとも思わない。

 

だから常に、私は周りに感謝することを忘れない。私と1秒でもかかわってくれた人たちのことを常に意識して「ありがとうございます」というようにしている。コンビニでレジをしてくれたお兄さん、おじさん、おばさん、逆にアルバイトでレジをする際においしかったですと言ってくれるお客さんたち、友達でも親友でも家族でもない、そんな人たちがいるおかげで、私は優しい気持ちになれる。優しい気持ちのまま眠りにつくことができる。1日が終わりまた1日が始まる。その繰り返し。

 

つまり何が言いたいのかというと、お酒を飲みすぎると目がさえすぎて眠れなくなるということ。

 

 

 

 

ブログをきちんとまた書こう、だけど”きちんと”っていう定義が自分の中で曖昧すぎてきっと、たぶん、きちんと毎日は書けないと思う。だから"sometimes"にした。

お仕事で記事を書かせていただくことが増えた。1本500円という決して高くはない単価が倍の1000円になり、月3万の契約になった。しかし期限や納期がなかったものに期限や納期がついた。お仕事ってこういうことなんだろうなあ。仕事ってこうやって好きになったり嫌いになったり気力が湧いたり無気力になったりするのだろう。

仕事は仕事、趣味は趣味。だからあくまでこの場所は趣味の場として使わせていただこうと思っている。私の好きなことが好きなままでいられるように。

 

ここ連日の晴れ模様から一変、久しぶりの雨音で目が覚めた。急な天候の変化により前日から体調を崩していた私は、早く寝たために早く起きた。雨のぽつ、ぽつ、という音が心地よく感じる早朝4時半。外はまだ暗く、唯一わかるのは外の街頭の光が窓を媒体として私の部屋に入ってくるということだけ。その光だけが唯一その時の助けのような、一筋の光といえばいいのか、不安な気持ちの中で「大丈夫だよ」と、そんなことを言ってくれているような気がした。それだけ自分は何かに参っていると思うと恥ずかし限りなのだけれども。

ここは私の趣味の場であり、好きなものを注ぐ場であり、自分さえ分かればいいと思っている。欲を言えばいろんな人の文章を見たり、見てもらえたり、そんなことがあればいいなと思うだけであって、だからデザインも初期のまま、題名なんかは何にしようか一瞬迷ったけれど、何も考えずに始めたため、適当に数字を振っていくことにした。それでも書きたいことは日々あって、歩いていても走っていてもお風呂に入っていてもご飯を食べていても、ふとフレーズが頭に浮かんでくることは多々ある。自分の世界が突然ぱっと現れるというか。そういう瞬間が私は小さい頃からほかの人より多いのだと感じている。

 

突然虚無感に襲われたり、突然死にたくなったり、突然楽しくなったり、突然笑いたくなったり、突然泣きたくなったり。感情がめまぐるしく変わり、それに自分が一番ついていけていない。そんな自分をなんだよ、ふざけんなよ、って一蹴りしたくなる。

そんな中で私はふと人を俯瞰する癖がある。自分がその場にいるのにふと鳥のように俯瞰する。そんなときに見えた人、モノ、場所、そのどれもが自分とは距離のあるもののように感じる。私と密接にかかわっている人、モノ、場所、ーたとえば親、家族、友人、恋人、家、学校ーそのどれもが自分とは一切かかわりのないもののように感じ、そして取り残される感覚に陥る。この現象に何か名前があるならば、ぜひ教えていただきたい。