鬱になりました
前の記事から3年
あれから私は今年で社会人2年目になりました。家賃も光熱費も全て自分で支払いするようになりました。学生が終わると、学生に戻りたいとかないものねだりな考えに陥るんだよね。
三年前、あれから私は鬱病になりました。
毎日夜になると涙が流れ
悲しさの代わりに不安ばかりが募り
このまま私は一人で生きていくのか、どうなるのか
とてつもない不安が続きました。
眠れなくなり、毎日1、2時間の睡眠だけで学校、インターンにいきました。そして円形脱毛症になり、今ではウィッグがかかせません。そして鬱になりました。
もう三年目になります。社会人歴より鬱歴の方が長いです。
休職をするよりも、もっと日々自分のハードルを下げて褒めてあげられるように生きてください。
そんなことをついこの間医者から言われました。
そんなことできたら、今私はこうなっていません。とっとと休職させてくれ。
と、心底思いました。
でも、私は何も行動にはうつしていないので、この場所で日々できたことを綴ることにしました。
今日私の頑張ったところ
不安な仕事があったので、先輩の様子や環境設定を変えることで当日はうまくいきました。自信につながったよ。
おしまい。
3 思ったことをそのまま書きます
久しぶりに更新したブログで、思ったことを今からつらつら書きます。
もし見てくれている人がいたとしたら、ただの凡人のたわごとや独り言だと思ってさらっと流してください。
私は2月から新しい職場で非常勤(アルバイトとはこの職場では言わないらしい)で働いている。
内容はいわゆる学習塾。だけど、どこか障害をもったお子さんだったり、ADHDという障害だったり、何かに不自由さを感じるお子さんの指導を行う場所で働いている。
実際私は、1月で2年以上働いてきた職場を辞めて、フリーになってしまい、焦ってバイト先を探していたときに、この職場の求人を見つけた。
もともと知っている会社で、しかもそんな会社のアルバイトとして受かれば嬉しい、ラッキー!という気持ちで半ば応募した。
もちろん子供と触れあうことは好きだし、福祉から離れていたからこそ、もう一度福祉を学びたいと思っていた矢先に訪れたこの求人である。
幸運なことに、2度の面接を経て、希望の職場で2月から働くことが決まった。
まだ研修期間ゆえに、いろんな先生の授業をみたり、お子さんと話したりしているのが精いっぱいいだけれど、前の職場よりも違うやりがいが見つけられている真っ最中。
だけど、こんなにいろんな不自由さを抱えている人がいるんだ、と改めて知ってとてもショックだと思う。
ショックという言い方は失礼かもしれないし、申し訳ないかもしれないけれど、私の気持ちをそのまま伝えるとしたらこの言葉が最適なように思う。
私が小学生だった10年以上前は、特別学級というクラスが小学校に1つはあって、普通学級でも少し周りとの壁があるような子はいたと思う。だけれど、先生たちは「気合いが足りない」という意思の中で、同じように平等に接していたように思う。
それと比べたら、今の職場のような環境は、その子たちが感じる壁をなくして、まずは社会から壁をなくすという方針のもと、その子がのびのびと得意なことをしていけるような環境がもっと増えればいいな、と思うばかりである。
そんな中、ある番組の特集で、70代の高齢者が後期高齢者である75歳以上、(その番組では90歳など)の人達のケアやサポート、介護などに回っているという現状がでた。
ケアをする側の高齢者の方たちは、生きがいを見つけたように、ただ家にいるよりはいいといって、嬉しそうに仕事をしているようだった。
高齢者同士が支えあって生きるということは、とても素敵なことだけれど、なんでだろう、それを観た私は、とてもやるせない気持ちになった。
もっと若者ができることってないのかな。もっと若者たちが関心をもってくれるようなアプローチってできないのかあ。
と素直に初めて思ったかもしれない。
福祉を学んできて、私には無理、ほかのことがやりたい、と一度は違う道を考え就職活動などを視野にいれて動いてきたけれど、一度離れて違うことをしてきたからこそ、見えてくる社会の壁ってたくさんあるわけで、それに気づかない私たち健常者は壁だとも思わないで日々生活している。
私たちにしたらなんにでもない壁を、壁だと認識して、それにつまづき、苦しみ、何かしら不自由さを感じている人たちがこんなにいる、ということをもっと知って欲しいと思った。
私は何もできない、得意なものもない、いち大学生だけれど、街の復興や福祉の発展、より多くの人が関心を持ってくれるような活動をしていきたいと思っている。
もしこの考えに賛同してくださる方がいるとしたら、気軽に言ってほしいし、こういう活動があるよ!ということも、もしあれば教えてほしい。
もっともっと、思っている以上に、私たちは私たちの未来について考えなければならないと思うのである。